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-THE CHERRY COKE$ 2013 LAST GIG- #チェリコ





未だツアーファイナルの余韻から抜け出せていない感がありますが明日は年内最後のライブなのでビシッと気持ちを切り替えていきたいと思います!


チェリコの2013年ラストライブは明日、12月29日幕張メッセ。

"COUNT DOWN JAPAN 13/14"です。

今年は念願だったフジロックのホワイトステージにも出させてもらい赤坂ブリッツでワンマンをやらせてもらい締めにカウントダウンジャパン。

本当に感謝の一年でした。

素敵な一年をありがとう。



来年は結成15周年。

決して楽な道のりではなかったし短くもなかった。


けど人間で言うならまだチン毛が生えはじめた位の歳な訳で。

色んなヒトに可愛がってもらって、手を借り育ててもらい、未だに迷惑をかけ続けてる若造くらいな年なんだよね。

自分のコトだけど、それと同時にカワイイ我が子のようなTHE CHERRY COKE$という存在。


血気盛んな年頃でそれなりに悩みや問題も抱えてる。

だけど今、目の前にある青春に戸惑ってたり目を背けたらきっと後悔するコトも知ってるから。

いつかこの手を離れて一人立ちするまでは、もう少し見守っていたいなって。



明日は2013年というTHE CHERRY COKE$にとっても後々まで残る記念すべき年の締めくくり。


ド派手に青春を謳歌してきたいと思います!!

出番は14:30からCOSMO STAGE。


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COUNT DOWN JAPAN 13/14



待ってるぜ!!


最高の一杯の為に

ヤッチマオウゼッ!!!!!



KAT$UO
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by YUICHIROtccs | 2013-12-28 23:44

チェリコ赤坂BLITZ終了!!!ありがとうございました!!!


ふぅ…。











ありがとーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!


"Hoist the COLOURS"THE FINAL@赤坂BLITZ終了しました!!!


なんだかやりきった次の日がクリスマス・イブだなんてロマンチックだね!


さて。


先ずはオレ達THE CHERRY COKE$の晴れ舞台へお祝いに駆けつけてくれた全国の仲間へ感謝を。


大きな振り落とし幕に映像が映っていた時にはステージに板付いていたんだけど、あの瞬間のミンナの大きな歓声に幕の裏で震えてた。

そして幕が降りた時の光景、一人一人の顔が見えた瞬間早くも涙が零れてきそうで凝視出来なかった。

いつもいつも来てくれるヒト達、ライブ後話かけてくれるコ、TwitterやFacebookでコメントをくれるヒト、遠い中頻繁に飛行機や新幹線で来てくれるヒト。

正直ミンナの本名や普段どんな環境で何をしているかは知らない。

けど、ミンナがいつもチェリコを応援してくれているコトは知ってるし、いつもフロアで楽しんでくれているコトは知ってる。

名前は分からないけど顔はシッカリと分かる。

そんな全国各地でオレ達を待っててくれる仲間の顔が見えた瞬間の感動や心強さはちょっと言葉じゃ伝えられない位のモンだったよ。

本当に嬉しかった。

ありがとう!!



普段から遊んでる仲間や地元の連中も沢山遊びに来てくれて嬉しかった。

当日会場には来れないけどって、メッセージやコメント、メールや電話をくれた沢山の仲間にも感謝です。

沢山のお花や差し入れもありがとう。


「四国のブリーフ海賊団」とだけ書かれた差出人が分からない立派なお花が届いてた。

本当に粋なコトする連中だよ。

四球星ありがとう。


いくら文字にしても伝えられない位、感謝でいっぱいの夜だった。




ココに至るまでには本当に長い時間と沢山の協力があった。

事務所では何度となくミーティングを重ね、多くのヒトの時間や知恵を借りた。

メンバーのやりたいコトやイメージを挙げ実現できるコト、出来ないコト。

その為に必要なコトや準備するコトなどを何度も話し合った。

社長も含めこの赤坂BLITZに関わってくれる人達と真剣に話し合った。



勿論赤坂BLITZのような大きな会場でやるにはそれ相応のお金もかかる。

来てくれるミンナにはあまり関係の無いコトだけど、最初からソールドアウトしても足が出る採算度返しの計画だった。

それでもオレ達の意見を出来る限り聞き入れてくれ、最大限の協力をしてくれたMAD TV ARTISTSという会社には本当に感謝している。

お金じゃなく来てくれるミンナが喜んでくれるモノを創ろうと言ってくれた結果が昨日のライブだったと思う。



ステージを盛り上げてくれたダンサーの方々にも心からの感謝をしたい。

セットが出来たのもギリギリだったからリハーサルもやりづらかったと思うけど、どうしたらもっと良くなるかをミンナ真剣に考えてくれた。

何度もスタジオに足を運んでくれて、曲に合わせイメージを擦り合わせて一緒に創り上げて。


音響担当のANDREW君は当日別現場で自分のライブがあるにも関わらず音響機材の発注含め仕込段階から本当に多くの協力をしてくれた。


照明も凄かったでしょ。

BLITZのような場所は照明も全て持ち込みなんだけど、担当してくれた鈴木Jimmyさんもまたリハーサルやミーティングに参加してくれて、どうやったらこの世界観を表現できるかを考えてくれた。

無茶な要望にも無理なんて一言も言わずに全て実現してくれた。

実は昨日のライブ前日にJimmyさんのお母様が亡くなられて、本当なら誰かに任せてでも駆けつけるコトだった筈なのに、当日誰よりも早く現場に入り仕込をして、最後の最後までチェリコのステージを彩る為に協力してくれた。


衣装を担当してくれたFAWKSの田嶋さんは今回アー写やMVでも協力してくれた方で、今回のライブでもそのイメージに近づける為に色々と走り回ってくれた。


途中オレは着替えをしたんだけど、あのスーツは仲間が作ってくれたモノなんだよ。

ライブでの動きやすさやステージで映えるシルエットまで考慮して作ってくれた。

自分に何か協力出来るコトは無いかって無償でやってくれた7&4のガンちゃん。


そして黙ってようと思ってたんだけどMASAYAやHIROMITSUが言ってくれたから書いちゃうけどステージセットは自分達で造ったんだよ。

MASAYAはブログでカッコ良く書いてくれたけど、オレは自分のコトだから出来る限りのコトをしただけ。

だけどコノ話に「面白そうじゃん」と協力してくれた仲間には心から感謝したい。

皆仕事や家庭を持っている中で疲れているだろうに、何の見返りも求めずに夜遅くまで作業してくれた。

場所の提供、材料集めから制作と3ヶ月間位かけて毎日根気よく進めてくれて。

ライブが近づくにつれてオレは作業に参加出来ないコトが増えたけど、それでもオレが居ない時もミンナ作業してくれてた。


そして今回はウチの取締役の一人、山田能龍さんが演出を担当してくれた。

あれだけのコトを詰め込んだらとてもじゃないけど自分達だけじゃ扱えなかった。

お客さんの立場に立ってどうやってライブが展開されていったら楽しいかを真剣に考えてくれた。

多くのアイデアを纏め一つのカタチに実現してくれた。


もう一人の取締役、久田さんも常にメンバーのケツを叩き鼓舞してくれた。

限られた時間の中でカタチにするには辛いコトもあったけど結果無理をしてでもやって良かったと思えるコトばかりだった。


舞台監督の青木さん、ライブ制作の前田さん、興業元のSMASHさん。

これだけの多くのコトを纏め取り仕切ってくれたからこそ、このライブが上手く回ったんだと思う。


バンドとの距離も一番近く今回も多くの面倒をかけちゃったけど、いつも熱い想いで動いてくれるマネージャーの田口君。


そして事務所の社長千佐隆智さんには全ての負担をかけてしまったけど、進んでリハーサル現場やミーティングにも参加してくれて惜しみない協力をしてくれた。

ライブが終わった後泣いてくれていたという話を人伝に聞いた時は本当に胸が熱くなった。


こうしてミンナが自分の仕事に誇りを持って取り組んだからこそ、そしてその持てる力全てをTHE CHERRY COKE$に提供してくれたからこそ実現出来たライブだったと思います。


だからこそ良いモノにしたかった。

行って良かったって言ってもらいたかった。

何としても成功させたかった。

ありったけのミンナの気持ちが詰まった赤坂BLITZ。



結果は昨日あの場に来てくれたミンナが判断してくれたらイイ。



オレはやれて良かったと心から思ってる。

たとえステージという表舞台に立たなくとも、そこに辿り着く迄には多くのヒトが影でオレ達を支えてくれたというコトに心から感謝してコレからも忘れないでいたいと思う。



あらためて、2013年12月23日THE CHERRY COKE$"Hoist The COLOURS"THE FINALに関わってくれた全ての方へ、様々な形で応援してくれた方、遊びに来てくれた方々とメンバーへ心から感謝いたします。


ありがとう!!!!!!!!!!楽しかったぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!!!



I hope that HAPPY CHRISTMAS comes to you☆☆☆

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KAT$UO
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by YUICHIROtccs | 2013-12-25 02:02

12月23日Hoist The Colours チェリコ物語-最終話-



駆け足で書いてきたので話が飛んでいたり前後するコトがあるので、少し整理をしたい。


先ず、長い間サポートとしてドラムを担当していてくれたMOCCHIはアメリカから帰ってきた少しあとに、1年間の本気でのお笑い活動を終え、その答を出した。

相方とも真剣に話し合いその中で、お互い別の道を歩もうという結論に至った。

MOCCHIはバンドにその気持ちを真摯に伝えてくれた。

今までもサポートという立場でありながら、他のドラマーがチェリコのドラムを叩いているのは辛かったと。

このバンドのドラムは自分以外いないと。

勿論オレ達もそう思っていた。

こうして結成当時からずっとTHE CHERRY COKE$のドラムとしてバンドを支え続けてくれていたMOCCHIが正式メンバーとして加入するコトになった。



そしてもう一人、ホームページの募集で出逢い6年という歳月バンドをサポートしてくれていたTA-CHINは"SEVEN"のツアーを最後にバンドを離れることになった。

本当に沢山の負担や苦労を掛けてしまったけどいつも笑顔でオレ達を支えたくれた。

演奏こそしなかったが間違いなくTHE CHERRY COKE$のメンバーだったし、この先もその事実は変わらない。


先日のブログでTA-CHINのコトに触れ「オレ達赤坂ブリッツでやるんだぜ」と書いたが、そんなコト言われなくても知ってるし既にチケットも持ってるとメールが来た。

「オレが言うのも烏滸がましいけど感慨深いです」だって。

本当に水臭いヤツだ。

優しくて温かくて今でもオレ達を気にかけてくれているそんな男。

心から感謝してるよ。







さて、昨日の続きに話を戻そう。



3年間のSTEP UP RECORDS時代、そして12年間のバンド生活を経てバンドは新たな可能性を求めレーベル移籍をするコトになる。

それはメジャーへの挑戦。



以前にも書いたが昨今のパンクロックシーンの快進撃、そして音楽シーン全体のビジネス的な部分での不況。

そんなコトを考えるとインディーズでもメジャーでも活動をしていく上でそれ程変わりは無いような気がしていた。


しかし、この12年というバンドマン生活も気が付けば自分の人生の3分の1以上を占めていた。

元は地元のプールバーでのノリから始まり東京の外れの小さな町で産まれた鼻歌が、多くの仲間の協力と時間を経てCDとなり、今では全国のヒトの手元へと届くようになっていた。

辛いコト、むかつくコト、しかしそれを帳消しにする程の楽しいコト。

バンドを続けてきたからこそ得ることの出来た多くの経験。

紆余曲折はあったものの、飽きっぽい性格のオレがよく一つのモノをココまで続けてこれたなと思う。


しかし一つのコトを長く続けてくれば当然終わりも意識し始める。

音楽は永遠に残る。

しかしナマモノとしてのバンドはきっと永遠じゃない。

理由は様々だが、本気になればなるほど不安も出てくる。

喜びを勝ち取る為に多くの犠牲も払ってきた。


果たしてこの先自分達はいつまでTHE CHERRY COKE$としての生活を続け、何処へ向かうのかそんなコトを考え始めていたのかもしれない。

THE CHERRY COKE$というバンドの将来、そしてバンドマンである前に一人の人間としての未来を考えたら、今しか出来ないコトややり残したコトが見えてきた。

こうしてオレ達は今までTHE CHERRY COKE$が経験したコトの無かったメジャーというフィールドでの活動を決めた。


とは言え、そうと決めたからといって直ぐに移籍先が決まるモノではない。

より多くのヒトやお金が動くメジャーでのリリース。

各レコード会社の見解はシビアだ。


活動期間が長い為色が付きすぎている、国内において民族楽器を使っているバンドが今までメーンストリームに躍り出てきた前例も少ない、パンクロックを売り出すフォーマットが無い等。

つまりメジャー商品として扱うには懸念事項が多すぎるバンドだったのだ。



そんな中、以前STEP UPへ移籍する前から面識のあった"徳間ジャパン"が移籍の話を聞きつけ声をかけてくれた。

現在レコード会社のA&R担当をしてくれているヒトの中には高校時代チェリコを聴きながら通学していたという人物や地元が近く同い年のヒトもいる。

やってやろうぜ、THE CHERRY COKE$の音楽でメジャーシーンに殴り込みをかけてやろうぜ、そんな気持ちを持って徳間ジャパンが力を貸してくれるコトになった。


この時の気持ちは今駆け足で綴るよりも2年前に書いたモノを読んで頂いた方が伝わると思うので時間のある時にでも読み返してほしい。


~カツヲのヨイドレ航海日誌~【BLACK REVENGE☆】

こうして出来上がったメジャー1stアルバム"BLACK REVENGE"は2012年7月4日に徳間ジャパンコミュニケーションズよりリリースされた。



TKCA-73779

01.LUMBER JACK RIOT
02.BOUND PRISONER
03.KISS IN THE GREEN ~Drunken lovers nite~
04.DEAD END
05.FORWARD AGAIN
06.嘆きのMELODY
07.FLOWERS
08.BLUE PAIN
09.GIVE ME SHINE
10.BLAZE OF GLORY
11.BLOW AWAY
12.BRIGHT THE LIGHT
13.THE PHANTOM SHIP


タイトルの"BLACK REVENGE"へ込めた想いは、メジャーシーンへの挑戦や今までオレ達を相手にすらしてくれなかった連中への反逆の狼煙だった。

16世紀にイギリス海域を拠点に世界の海を荒らした「黒ひげ」の愛称でも知られる実在した海賊"Edward Teach"の船"Queen Anne's Revenge"からも由来している。

少し物騒なタイトルだが、メジャーに行ったから変わったんだなんて言われないようにと意気込んでいた作品だった為に、結果今までのTHE CHERRY COKE$のどのアルバムよりも激しい内容になった。





バンドにはこのリリースともう一つ、大きな動きとして事務所への所属もあった。

今まではバンドとレーベルの契約だけだったのでお金のやり取りやスケジュール管理その他の全てを自分達で動かしてきたが

事務所へ所属するコトにより音楽以外の業務、今まで手の届かなかった部分までもサポートしてくれるようになりバンドとしての活動もだいぶ助けられた。



"BLACK REVENGE"のツアー中にはなんと次回作の話が既に進んでいた。

プロモーションの規模や媒体への露出の機会も増え感謝するコトはあっても、メジャーだからという理由での不満は無かった。

しかしインディーズ時代との大きな違いはこうした翌年や更にその先の計画が今やっているコトと同時に常に進み続けているといいう点だった。


正直戸惑った。

今はまだ今作のツアーが始まったばかりでネタも既に全て出し切った状態。

このスピード感に着いて行けてなかったオレ達は、正直コレから"新作"に関する活動をしようとしていたところに次回作の話をされても、という心境だった。



しかしレコード会社や事務所が本気で動いてくれている分、自分達は更に情熱をもってやらなくてはいけないという想いもあった。

こうして"BLACK REVENGE"のツアー中や遠征先のホテルでの楽曲制作が始まった。


時間が無いからという理由で拘りを捨てるなんてコトはしたくなかった。

一度やると決めた以上は言い訳は無しだ。



2013年の年明け、つまり今年の始め。

HIROMITSUやMASAYAは予定曲数の倍以上の曲を作り上げた。

そこからアルバムに収録する曲を選定する作業。


これで行くと決定した11曲を確認した時点からレコーディングを終わらせなくてはいけない期限までは既に2か月を切っていた。

ココから曲のサイズを決め各パート毎にアレンジを考え歌詞をつけプリプロを録り、レコーディング。

今までの活動の中でゼロから創り始め2か月間でフルアルバムを完成させた経験は無かった。

しかし出来ないという選択肢がない以上やるしかない、更にソコには妥協ではない目一杯の気持ちを込める必要があった。

バンド生命というのは一度の過ちや人の噂が長く尾を引くのを知っている。

失敗は出来なかった。




年の初めにメンバーへ年賀状を送った。

オレ達はコレからとんでもないコトに挑戦しようとしている、大変なコトだけど気持ちだけは擦り減らさずに行こうと。

きっとこう書くコトによって自分自身の不安や懸念を掻き消し奮起させようとしていたのかもしれない。


それからは昼夜問わずアルバム制作へ向けて各メンバー奮闘した。

先ずは楽曲を頭に焼き付ける為に聴きまくる、そこから世界観を創り上げ言葉を載せていく。

何をしていてもそのコトだけが頭にあり一日の終わりにはヘトヘトになっているが、今度はメロディーが頭から離れず眠い筈なのに目を瞑ってもループしている。

そんなコトを繰り返しながら上手くいかず落ち込んだりもした。

自分で書いておきながら年賀状に綴った気持ちを忘れそうな時もあった。

しかし、今オレ達は自分達で産み出した音楽を多くのヒトへ届ける為の作業をしている。

渋谷のど真ん中で沢山のヒトの力を借り最高の状況を用意してもらいレコーディングしている。

こんなに幸せなコトなのに何故難しい顔をしてやってるんだと、今にも負けそうな自分を奮い立たせた。



全ての作業が終わった時には皆安堵と共に疲労困憊していたがどうにかリリース日をずらすコトなくレコーディングは終了した。

こうしてメジャー第2弾通算6枚目となるアルバム"COLOURS"は2013年6月12日に徳間ジャパン・コミュニケーションズよりリリースされた。



そう、コレが明日赤坂ブリッツで行われるツアーファイナルの為の作品だ。


TKCA-73914


01.DRUNKEN PIRATES ~終りなき夜の果て~
02.PALE YELL
03.Who killed the RED?
04.BITTERSWEET SUMMER DAYS
05.GLORY STORY
06.JOURNEY TO THE SUNLIGHT
07.SLY HIGH
08.bite me,deadly
09.misery-go-round
10.SHINING STAR
11.BURN




このアルバムは今までのTHE CHERRY COKE$の色を残しつつも色々な試みが詰め込まれているアルバムになった。

今までのチェリコには少なかった16ビートの曲も多くバラエティーに富んでいるコトや、歌詞に関しても今までの「オレ達からキミ達へ」ではなく「オレからキミへ」といった

直接的に気持ちが伝えられるように意識した。

コレが進化してきたTHE CHERRY COKE$の今のカタチだ。



タイトルの"COLOURS"には勿論「色」といった意味がある。

様々な楽曲から構成されるアルバムでその多色感を表してもいる。

通常米語だとCOLORSと"U"が入らず表記されるコトも多いが、コレはオレ達の音楽とも関わりの深いヨーロッパ流儀の表記。

そして"U"を入れるコトによってオレ達を表す数字、7という数になるのだ。


もう一つの意味は海賊言葉の「Hoist the colours」に由来する。

「旗を掲げろ」という意味の言葉だ。

この14年間の歴史、辿ってきた経緯など、時間を経た今だからこそ出来た作品。

強いだけじゃない、楽しいだけじゃない。

弱かったりしみったれた曲も今だから去勢を張らずに素直に表現出来たと思っている。


今一度"THE CHERRY COOKE$"というバンドが何者なのか、その旗を掲げる。

そんな意味が込められた作品になった。











さて。

このチェリコ物語も漸く現在まで辿り着いた。

だいぶ駆け足で進めて来たから書ききれないコトも沢山あった。

書かないほうがいいコトも沢山あった。



とても30日間じゃ書ききれるようなモノでは無いけど、少しでもオレ達のコトを知ってもらえたら嬉しいなと思っています。

先ずはこのブログを毎日楽しみにしてくれていた方々に心から感謝致します。


最近知り合いに会う度にブログ楽しみにしてるよなどの声をかけてもらいました。

TwitterやFacebookなどでも多くの方から力を貸して頂きました。

沢山のコメントや"いいね"もとても励みになりました。

御陰様で1ヶ月前と比べると、明日チェリーコークスが赤坂ブリッツでライブをするコト知ってくれたヒトが増えたと実感しております。

本当にありがとうございました。


こうして自分自身振り返ってみても、やはりコトある毎に力を貸して支えてくれていたのは仲間でありお客さんでした。

特に自慢するコトも無いのですが、その少ない中で唯一誇れるモノは、このバンドには沢山の仲間がいるというコトです。

ヒトに恵まれたというコトがこのバンドにとって一番の財産であり強みだと改めて感じました。






このブログを書き始めたのにはいくつかの想いがありました。


始めに書いた通り、一人でも多くのヒトにTHE CHERRY COKE$が12月23日に赤坂ブリッツでライブをするコトを知ってもらいたい。

その為の協力をお願いしたいという気持ち。

正直今のチェリーコークスに赤坂ブリッツというハコは身の丈に合わない程大きな舞台です。

しかし14年という活動を経てきていつまでも、徐々に上がっていく流れに身を置いているだけではダメなんだという想いがありました。

どこかで区切りをつけケジメを付けるコトもバンドにとって必要なコトなんだと思います。


中には色々な心配してくているヒトがいるコトも知っています。

しかしこの後もライブの予定は入っています。

来年のスケジュールも徐々に公開されています。


しかしこのライブで何か一つ、答を手繰り寄せようとしているコトは事実です。

その為にオレはどうしても沢山のヒトに明日のライブへ来てほしいと願っています。

金銭的なコトや興業としての話じゃない、多くのヒトが来場してくれるコトが必要だと感じています。



始めのほうにバンドをやっていくのは会社を運営していくようなものだと書いたけど、コレはバンド=仕事という意味ではありません。

14年前、何も分からず始まった悪ふざけが今でも続いている時間とお金をかけた派手な遊びだと想っています。

勿論お客さんからライブやCDの売り上げを頂き、多くのお金やヒトが関わっているという点ではビジネスになりました。

しかし、好きだから続けているコト、やっぱり最終的には楽しいから続けているコト、心の中ではそんなワクワクするような遊びの延長だと思っています。

きっと仕事だったらこんなには長く続けて来れなかったんじゃないかとも思います。


明日はそんなオレ達の人生の3分の1をかけた遊びの集大成を披露いたします。

14年間本気で遊んでたらこんなコトになったぜっていう最高の舞台に出来るように全力を尽くします。





この前美容院で目にした雑誌の占いに

「うまくいかなかったり悩んだりするのはソレだけ本気になっている証拠。実感が遅れてやってくるのは夢中で今を生きている証拠」

と書いてありました。

あまり占いなどを信じるほうではないのだけど、この言葉は胸に刺さりました。

何年か後にあの時は必死で分からなかったけど、やって良かったんだと思えるような、明日はそんな一日にしたいと思っています。

そして未だ白紙のこのブログの続きを書きたいなと思います。



最後に、オレがこんな告知をする前から当然だろと言わんばかりに既にチケットを買い楽しみにしてくれていたミンナ、それでも告知に付き合ってくれたミンナへ心より感謝をします。


いつもありがとう。

最高の一杯にしようね。



ヤッチマオウゼッ!!!!!




赤坂BLITZ、いよいよ明日!!!

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LIVE情報→ www.thecherrycokes.jp


KAT$UO




TOUR 2013"Hoist The Colours"THE FINAL

2013.12.23 [Mon] 赤坂BLITZ

開場 : 16:45/ 開演 : 17:30
前売 : ¥2,999/ 当日 : ¥3,500/ DRINK :¥500
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by YUICHIROtccs | 2013-12-22 21:25

3.11 #チェリコ物語





2011年3月。

オレ達はNew Album"SEVEN"を録り終え、ツアーの詳細も決まり後はこの最高傑作のプロモーションを進める段階まで来ていた。

昔とは違い、などと言うと年寄っぽいが近年はTwitterやFacebook等のSNSの活性化により告知もだいぶし易くなった。

自分が発信した一つのつぶやきが皆の協力により見知らぬヒトへまで届く、バンドマンにとっては何とも便利で有難いツールだ。


今だってそうだ。

正直こうして毎日ブログを綴るのも、ソレが拡散され自分の手では補えない範囲への拡散されるコトを期待している。

自分達のコトを知らないヒトへも、皆の力を借り少しづつ拡がっていっているコトを実感している。


しかし時にコレが、今やるべきコトなのか、そんなコトを思い悩まされる時がある。






2011年3月11日。

その日は横浜F.A.Dでロットングラフティーのツアーへ出演する予定だった。

少し寝坊をし、それでもシャワーだけは浴びたかったオレは風呂場で髪の毛を洗っていた。



すると目を瞑っていても分かる位の揺れを感じた。

勿論すぐに地震であるコトは分かった。

いつもより大きい。


普段とは違う揺れに身の危険を感じ避難の方法をイメージしながらもこの時オレは

「あぁ、全裸のパターンか」

などと呑気なコトを思っていた。


風呂から出ても余震は続いている。

しかし寝坊により既に遅刻確定だったオレは地震情報も確認しないままライブの準備を済ませ早々に家を出た。

未だ余震が続き外では近所の住民が集まり不安げな表情で会話をしていた。


そんな光景をよそに横浜へ向かう為バイクで最寄の駅まで行った。

なんとなくは分かっていたが勿論電車は運転を見合わせていて出発の目途も立っていなかった。


しかたない、このままではリハーサルに遅れてしまうと思いバイクで横浜へ向かうコトに。

F.A.Dへ着いた頃はロットンもリハを終えていたが皆一様に表情が暗い。

この時点でまだコトの重大さを知らなかったオレは、地震の影響で皆少し遅れるだろうな位に思っていた。

しかしよく話を聞くとオレが思っていたモノとはかけ離れた事態が起こっていた。


近隣のライブからは尽くキャンセルの情報が入ってきた。

ロットン側のスタッフも詳しい状況がつかめるギリギリまで待ったが、最終的に中止の判断を下した。


メンバーとの連絡も着かづ暫くは待ってみたがそんな状況でないコトが時間の経過と共に分かり始め、再びバイクで家へと戻った。

横浜とオレの住む場所とは国道15号で一本なのだが、その時の光景は今まで生きてきた中で一度も観たコトが無い景色だった。

歩道はヒトで溢れかえり道幅の広い6車線の道路の信号、また隣接する建物の明かりは一切灯っていなかった。



そう、東北地方太平洋沖地震である。




この翌週、3月17日はSt.Patrick's Dayでオレ達も新代田FEVERでTHE CHERRY COKE$企画のイベントが入っていた。

しかし時間を追う毎に入ってくる情報はとにかく「電気を使うな」「節電」とういうコトだった。

その間都内でも多くのイベントが相次ぎキャンセルされていた。

娯楽どころではない、ましてや電気を大量に使うライブなんてもっての外、それが世論だった。

オレ達もまた当初はそんな気持ちだった。


しかし1日、2日と日を追う毎に本当にそれで良いのか、キャンセルするのは簡単だが果たしてソレが正解なのかを悩みはじめた。



FEVERの店長西村さんに電話をした。

ココでも連日イベントはキャンセルになっている状況だった。

オレ達の迷いを伝え西村さんの気持ちを聞き、今オレ達がどうするべきかを考えた。

メンバーともコレまでのバンド生活の中で一番真剣に話し合い意見を出し合った。

この日は自分達の企画というコトもあり前々から映像を撮ろうというコトにもなっていて、ソレを担当してくれる山田ホームのYAMADAさんにも今の気持ちを伝えた。



この時FEVER店長の西村さんの気持ちは「出来ればやってほしい」というモノだった。

その為の節電やいざの時の避難方法等も提案してくれた。

西村さんもまた迷いはあったと思うが、ソレ以上に音楽の持つ力を信じていた。

こんな時だからこそオレ達は音楽を止めてはいけないんだ、そんな想いが共鳴した。


YAMADAホームの山田さんは「オレ達は準備は出来ている、しかしバンドの決定に従う」というコトだった。



考えた。

考え悩んだ結果、オレ達の出した答えは予定通り決行しようという結論だった。

しかしやるからには何かしらの意味と気持ちを乗せたいと。


この決定からライブまでには2日しかなったが、考えた結果レコーディングをしソレを販売して義勇金にしようという話になった。

この時はRADIOTSとの2マンでRADIOTS側もこの決定を伝えたところ共感してくれ、そうと決まればすぐに作業に取り掛かろうと急な提案に対応してくれた。


それまで曖昧にしていたお客さんへのアナウンスもした。

賛否両論あった。

当たり前だ、誰も正解なんて分からなかった。


しかし、コレまで自分達が大切にしてきたモノ、信じてきたモノをもう一度考えたらやるべきだと思った。

日本国民ひいては世界の人々がこの震災に衝撃を受け心を痛めていた。

しかしこんな時こそ誰かを笑顔にしたい、ライブに来てくれたヒトを笑顔にしたいそんな気持ちでやって来た音楽の力を信じるべきなんじゃないかと思った。


西村さんは最大限の協力を約束してくれ、山田さんは「やりましょう!オレ達の正義を信じて」というメールをくれた。

迷いが吹っ切れた訳では無かったが、今自分達がやるべきコトは皆心の中で決まっていた。

やると決めた夜、早速スタジオに簡易的なレコーディング機材を持ち込み、唐突な申し出にも関わらずRADIOTSと共にレコーディングをした。


お互いがお互いの曲を演奏しメドレーにしたモノを録り、翌日にはジャケットをコピーしパッケージした。


決行するからと言ってお客さんが来てくれるかは分からない。

少なくてもしょうがない。


こうして迎えた当日、リハから皆緊張や不安を抱えながらも決意に満ちていた。

何が正解かは分からない、しかしオレ達の今出来るコトに最大限の力を持って挑もう。

そんな気持ちに共感してくれて、また同じように不安を抱えた多くのお客さんがオープンまえから会場前に列を作っていてくれた。

この時の模様は2nd DVD "CLOUD SEVEN"に収録されているが、このイベントを終えて少しだけ自分達の迷いは消えたのかなと思う



やってよかった、そんなモノとは少し違うがこの時ライブをしたコト、そしてその音楽の力を信じていた多くのお客さんがいたコトを実感した。


この時ほどライブをすることの意味、ライブをするというコトへの迷いを感じたコトは無い。






こうして今でも癒えぬキズを残した震災の翌月4月に4枚目となる"SEVEN"は発売された。

ジャケットは世界的なタトゥーアー"TOKYO HIRO"氏が担当してくれた。

冒頭で書いた通り、普段とは違い告知やプロモーションも少なかったがそれでも皆が楽しみに待っていてくれたコトが嬉しかった。


この時のツアーは全国40箇所以上の土地を周り、バンドとしても今までより本数も規模も大きなリリースツアーを敢行した。

毎回映像やライン音源を録り、その夜にはホテルの部屋でメンバーと反省会を繰り返した。

STEP UPからの最後のリリースとなった作品だが多くの経験とこの先に活きる意味のあるモノになったコトは間違いない。


在籍期間3年の間には今に繋がる多くの出逢いや経験。

RYOSUKE社長はじめ沢山のヒトの力を借り、バンドとしても大きな成長を遂げたこの時代もまたTHE CHERRY COKE$にとってとても大切な期間だった。


心からの感謝を込めて。


ありがとう!!STEP UP RECORDS。



続く…


赤坂BLITZまで後2日!!!


【RASCAL TRAIL】

山梨の牧場を貸し切って撮影した作品。

撮影途中には思わぬ雪が降ってきて苦労したが機材を濡らしながらも撮影を続行。

THE CHERRY COKE$の新しい可能性を詰め込んだ大切な一曲。

是非ご覧ください。

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by YUICHIROtccs | 2013-12-22 02:40

ジャイアント・キリング #チェリコ物語



2009年の暮れ思わぬ話が舞い込んで来た。

それは、今度始まるアニメの主題歌をTHE CHERRY COKE$に担当してほしいという内容だった。



アニメのタイトルは「ジャイアント・キリング」

週刊モーニングで連載中のサッカー漫画だった。

そのアニメ化に伴い主題歌を担当するアーティストを探してるという。

正直この時点で、バンド内にこの漫画を知っている者はいなかった。



早速その漫画をメンバーで回し読みした。

つまらなければ断る、そんなつもりは毛頭無かったがこれが想像以上に面白く胸を熱くさせられる作品だった。

やはりやらせてもらうからには自分達も好きになれるに越したコトはないし、気持ちの入り方も違ってくると思う。



アニメの主題歌やテレビ番組のタイアップは基本的に大人の話になってくるので、何のコネも無く小さなインディーズレーベル所属のオレ達には無縁のモノだと思っていた。

しかし、この話は漫画の作者"ツジトモ"先生自らTHE CHERRY COKE$を指名してくれたのだ。

小難しい話は一切抜き。

サッカーにはパンク、ケルト圏のテイストがあれば尚良し。

こうしてオレ達にその白羽の矢が立ったというワケだ。

長くなるので割愛するが、サッカーにおける歴史を見るとイングランド、ウェールズ、アイルランド等の国はこのスポーツと凄く密接な関係がある。

ヨーロッパの熱狂的なサポーターやフーリガンの歴史、それにまつわるカルチャーも時間がある時に調べてもらえたらこの経緯が納得いってもらえるかと思う。



ツジトモ先生もまた初のアニメ制作に相当な想いで臨んでいた。

この思い掛けない話に、そしてツジトモ先生の気持ちに応えるべくオレ達は楽曲制作に入った。


この作曲はHIROMITSUが担当したのだが、本人も後のインタビューで話していた通り彼自身にも、そしてバンドとしてもとても勉強になった。

というのもフル尺のモノとは別にテレビ用に短くしたモノを作らなくてはいけないのだ。

そこには当然アニメーションが付く。


番組が始まり何秒辺りでそのアニメのタイトルが出て来たらかっこいいか、何秒辺りでサビへ行けば盛り上がるか等他のアニメの主題歌を参考にしたりしながらかなり細かい部分まで詰めていった。

歌詞に関してもそれまでのTHE CHERRY COKE$の楽曲に比べ、かなり歌いやすいモノを意識した。

漫画を読んだイメージを大切にし、その場面場面を思い浮かべながら書いていった。

最近のアニメ主題歌にはアリモノが使われていたりもするから少ない気がするが、オレ達世代からすると主題歌にはアニメのタイトルが入っていてほしい。


こうして出来上がった初のアニメ主題歌は「MY STORY~まだ見ぬ明日へ~」というタイトルが付けられ2010年6月2日にポニーキャニオンよりリリースされた。


そう、少しややこしいのだがこの作品の出版元はSTEP UPではなくポニーキャニオン。

STEP UPに所属しながら別のレコード会社からのリリースという形になった作品。


当初はBSで半年位の放送を予定していたのだが、あまりにも好評で延長された後、民放のNHKで約2年程の間放送された。

所謂必殺シュートや特殊な能力を持った選手が出てくるようなストーリーではなく、監督が主人公でリアルな内容やサッカーを通してぶつかり合う人間ドラマがオレ達世代にはグサッと刺さるとてもお勧めの漫画。


「ジャイアント・キリング」

意味は「大物喰い」つまり小さいモノが大きなモノを打ち負かすというコト。

THE CHERRY COKE$にとってもツジトモ先生はじめこの作品に関わったスタッフの方々にとっても、そのタイトルに劣らぬ決意と成果を収めた作品になったと思う。





この年の暮れにはSTEP UP RECORDS所属最後となる作品の制作に取り掛かるコトになる。

レコーディングエンジニアはANDREW氏。

この頃になるとバンドとANDREW氏の息もバッチリでレコーディング効率も格段に上がった。

それでも相変わらず夜更けまで続く作業、そんなオレ達に嫌な顔一つ見せずに付き合ってくれる彼には本当に感謝している。

MY STORYで学んだコトもこの作品にはだいぶ影響して実にバラエティーに富んだ作品に仕上がった。


THE CHERRY COKE$のアルバムは毎回テイストが違う。

コレはリスナーの期待を良い意味で裏切りたいという気持ちと、その時々で自分達から出てくる音楽が変わるからである。

バンドも音楽も共に成長していてそんな柔軟性があるところもこのバンドの強みだと思っている。


こうして出来上がった通算4枚目となるアルバムに

"SEVEN"というタイトルが付けられた。


URCS-127

01.RHAPSODY OF MERMAID
02.RASCAL TRAIL
03.TAKE ME DOWN
04.NEVER MIND
05.FLYING ROOSTER
06.RAGNAROK
07.THE FALL OF WORLD
08.RAINY NIGHT & WHISKEY
09.DRUNKEN KNIGHTHOOD
10.COUNTRY ROADS
11.MY STORY ~まだ見ぬ明日へ~
12.RUDE BOY


この「7」という数字には色々な意味がある。

その数字を1周期とする時間の流れや、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫からなる虹の色、海で死んだ7人の幽霊七人ミサキや7つの大罪、7人賢者など宗教にまつわるモノ

幸運とされる数字であり天文学的な星の数、360度の円を唯一割り切れない数字であったりもする。

他にもこの数字には様々な意味合いがあるが、THE CHERRY COKE$のメンバーの数がこの数字に当てはまるコトが大きな由来だ。



こうして出来上がったアルバム"SEVEN"


このアルバムをリリースする直前、マスタリング作業も終わりいよいよプロモーション期間に入った頃、あの出来事が起こる。




続く…



赤坂BLITZまで後4日!!!


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by YUICHIROtccs | 2013-12-21 00:55

OFF THE WALL #チェリコ物語





日本に帰国したオレ達はすぐにレコーディング作業へと入った。


このアメリカツアーで得た沢山の経験や刺激を温度を下げずにパッケージしたい、そんな気持ちだった。

アメリカツアー中も作曲や歌詞作りは進んでいた。

TOMOに関しては既存の曲と新曲を同時に覚えていかなくてはいけなくて苦労したと思う。


エンジニアにはアメリカへも一緒に行ったSYU-HEYが担当してくれた。

下北沢にあるレコーディングスタジオで夜な夜な続く作業。

炊飯器で米を炊き、鍋でカレーを作ったりと女子メンバーが毎晩料理してくれた。

レコーディング中は食事が偏ったり、ついつい食べ過ぎたりしてしまいがちだからコレには本当に助けられたと思う。

RYOSUKE社長も毎日スタジオへ来ては夜中まで作業を見守り付き合ってくれた。

スタジオのソファーで朝を迎え、スタジオのソファーで眠りにつく。

そんな日々を繰り返しながらSTEP UP RECORDS移籍第一弾となる3rdアルバムは出来上がった。

Including 12 tracks URCS-117

1.1999
2.STUCKED MAN
3.SPEAK EASY
4.SURRENDER
5.ABOVE THE CLOUDS
6.THE CHERISH TOWN
7.心の奥へ
8.MY DEAR
9.IMPATIENT HEART
10.TODAY FOR TOMORROW'S SAKE
11.CRYSTAL LIFE
12.49ers




2008年7月30日このアルバムは"SAIL THE PINT"というタイトルが付けられ発売された。


タイトルにある"PINT"とはビールを注ぐ568mlグラスのコトで、パブ等でGUINNESS等が注がれ出てくるアレである。

一杯のビールに込められた物語。

卓を囲み酒を呑みながら創られていく仲間との時間や想い出。

その一杯のパイントグラスの中を旅するという意味を込めて付けられたタイトル。



このアルバムを引っ提げてツアーを周ったのだが、この辺りから活動の仕方も徐々に変わってきた。

~NO BEER, NO SAIL~と銘打って周ったツアーは一か月間に18本というモノで、本数こそ多くは無いが2日に1本以上のペースでライブをしたコトは
自分にとっても色々な勉強になった。

今まではライブは酒を呑んでハシャギ、終わればまた打ち上げで朝まで呑んでというモノだったが、こうも本数が密集してくるとそうもいかなくなる。

一度喉を飛ばしてしまえば復活するのに2~3日はかかる為、いつものペースで呑んでいては明らかに全箇所持たなくなる。


それと同時に少しづつ、お金をもらってライブをしているというコトも意識し始めるようになった。

今までは自分が楽しむコトが最優先だったが、自分の体調管理のせいでステージにムラがあっては同じお金を払って観に来てくれるお客さんに申し訳ないと。

9年目にして気付くとはふざけた話だが、実際この時辺りからライブ前の酒を控えるようになってきた。


こうしてSTEP UP移籍により活動スタイルも自分の意識も少しづつ変化するようになってきた。

そしてこの移籍を切っ掛けに一番変わったモノと言えば初めて出逢うバンドとの交流やお客さんの層だった気がする。



今までやって来た場所とは違うシーンでライブをするコトが増えてきた。

コレはRYOSUKE氏の紹介が大きかったのだが、所謂メロコアと称されるシーンで今までオレ達がやって来た場所よりも遥かに多くのフォロアーが居た。


以前にも書いたが、オレ達には根城にしているハコも無ければ特定のシーンに在籍していたコトもない。

新たな場所へ行ってもどこか孤立していたと思う。

オレ達はよそ者だから、なめられたくないからと自ら壁を作っていた気がする。

しかしSTEP UPへ移りライブを重ねていく上で、それは閉鎖的なプライドや内向的な意地だと気付かされたのだ。


そのきっかけは社長でもあるRYOSUKE氏が主催する新木場スタジオコーストで開催された"1997"というイベントや

初めて出させてもらった八戸で開催されている"八食サマーフリーライブ"へ出演した時のコト。

シーンを賑わす人気のあるバンドが多数出演するイベントで、名前も殆ど知られていないオレ達を観にくるお客さんは少なかったと思う。

そんな中その界隈では見慣れない楽器を持ち、聴き馴染みの無い音楽を演奏する一見風変りなオレ達をキッズ達はいとも簡単に受け入れてくれたのだ。

「初めて観たけど楽しい」「なんだか分からないけどディズニーランドみたい」

そんな言葉がむず痒くも嬉しかった。


自分達がやって来たコトにプライドもあった、今まで通ってきた様々なシーンへの想いもあった。

しかしそれは自分が思っているようなカッコ良いモノではなく、意固地になり自ら作ったつまらない壁でしかなかったのだと思うようになった。


そして周りのバンドマン達もまたオレ達を快く受け入れてくれた。

今まであまり周りに居なかった同世代、同学年の連中も沢山いた。

皆それぞれ環境は違うにしても抱えてる想いは似ていた。


思えばより多くのヒト達に自分達の音楽を聴いてもらいたい、そう思って飛び込んだはずなのに心のどこかでは

「オレ達の音楽が理解出来るのか」

そんなコトを思っていたのかもしれない。

全くもってタチの悪い天の邪鬼だ。

こうして徐々に仲間や活動の範囲が拡がり、自分の中の意識にも変化が出てきた時期だったと思う。




翌年2009年4月にはミニアルバム"KEEP THE FIRE"をリリースした。


Including 5 tracks URCS-120

1.Drink 'em all
2.Dear john letter
3.FRIENDS
4.Another way
5.FIESTA


ミニながらも自分達にとっては大切な一枚。

"SAIL THE PINT"をリリースする直前、ちょうどmix作業をしている時期。

同い年の仲間が病に倒れこの世を去った。

彼がDJとして主催していたイベント名からタイトルを付けた曲や、彼が好きだったTHE POGUESの名曲"FIESTA"を収録した。

酒が好きでいつも笑っていて、お調子者に見えるけど根は真面目で。

この頃になると一緒にやる機会も減っていたが、それでも逢えばチェリコの近況を気にかけてくれていた。

これはそんな仲間に捧げた想い出の深い一枚。





この頃になるとSYU-HEYに家庭が出来た為彼に代わり"ANDREW"がPAとして力を貸してくれるようになった。

彼もまた"FUCK YOU HEROES"や"BBQ CHICKENS"などでドラマーとして活躍する傍ら

自身のレーベル"TIGHT RECORDS"の社長としても多忙な生活をしているがこの時から今でもチェリコの音響を担当してくれている。

同い年で同性のオレが言うのもなんだがとてもチャーミングな男だ。

愛嬌たっぷりでいつも現場を和ましてくれる反面、仕事ではシッカリしていて頼りがいのある存在。


そんな新たな仲間との出逢いもあり再出発をしたTHE CHERRY COKE$だが、この翌年バンドに思いも掛けなかったコトが起きる。



続く…


赤坂BLITZまで後4日!!!

【FRIENDS】


※ミニアルバム収録曲。

地元平和島のキャンプ場で撮影したTAZAWA氏監督のMV。

地域の消防署に申請を出し、自分達で櫓を組み火を熾したのだが想像以上に火が大きくなってしまい何度か機材に燃え移りそうになりながらの撮影でした。

真冬に撮影したんだけど4月のリリースというコトもあり、ある程度薄着で頑張ったものの表情から寒さが伝わってしまうそんな映像です。


是非ご覧ください☆


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by YUICHIROtccs | 2013-12-20 00:38

アメリカ大陸横断#3最終編 チェリコ物語




翌朝、チェックアウトはAM10時頃だったろうか。

各自部屋の鍵を返しバスへ乗り込む。

朝方までやっていたポーカーと酒のせいもあり、人によっては早めにチェックアウトを済ませ既にバスのベッドで寝ているメンバーもいた。

ソファーに座り朝食を摂る者、ベッドのカーテンを閉め寝ている者、皆各々の時間を過ごしていた。

やがて準備も整いバスはエルパソを出発。

次の目的地はアリゾナ州北西部の街キングマン。

ココまで行けばラスベガスまではあと少しだ。


西部劇に出てきそうな赤土の荒野を眺め旧国道66号を目指す。

途中小さな町を通る度、何度かロデオ・ドライブという看板を目にしたが、コレは日本で言うところの○○銀座といった感じなのだろうか。


「果てしない」とはきっとこういうコトを言うのだろうなと思う程終わりの見えない赤土の荒野に囲まれた道を走り進んで行く。

エルパソを出発して1時間程経った頃だろうか、TA-CHINが慌てた様子でラウンジの扉を開けた。




「HIROMITSUさんが居ない!!」




ウソだろ、出発する時ミンナいるのを確認した筈だ。


しかしTA-CHINの話によると、ベッドのカーテンが閉まっていたので起こすまいとの気遣いからカーテン越しに手で触り確認を取っただけだった。

そして今用事があり、そっとカーテンを開けたらHIROMITSUだと思っていたその感触は彼のバックパックだったらしい。




古典的な忍法変わり身の術だ。


しかしHIROMITSUが忍術を使えるという話は出逢ってから一度も聞いたコトが無い。


全員のベッドを確認したがやはり1人足りない。

間違いなく現在この車にHIROMITSUは乗っていなかった。

慌てて運転手に状況を話す。



そうだ、HIROMITSUはケータイ電話を持っていたと思い出し電話をかけたのも束の間。

ラウンジのテーブルで主の帰りを健気に待つ彼のケータイが寂しそうに震えていた。



戻るしかない、しかし出発してからココまで1時間以上は過ぎている。

更にココから戻るのに1時間と考えても計2時間以上、彼がもし機転を利かし別の方法でコチラへ向かっていては行き違いになってしまう。

君が居ないのを確認したから今から戻るというコトすら伝えられない。



一抹の不安を抱えながらもバスは急いで今来た道を戻った。

1時間後、荒野に佇む寂れたモーテルの前で寂し気にキャリーバッグを引きずるHIROMITSUを発見した。


彼の話によると、寝坊しチェックアウトの時間を少し過ぎた頃、恰幅の良いベッドメイクのオバちゃんに起こされたらしい。

表に出ると既にバスは無く暫くは状況が呑み込めなかったが、刻々と過ぎていく時間と共にコレは置いて行かれたなと悟ったという。

ヒッチハイクかタクシーに乗って追いかけようかとも考えたらしいが、きっと気付いて戻ってくるコトに賭けていた。

裏の裏の裏。

つまり裏だが、コレが吉と出た。




見知ら土地、辺りは荒野が広がるメキシコとの国境。

この時の彼の心境を考えると本当に気の毒になるが、コレもまた旅の想い出と笑い話に出来る彼は流石だ。

こうして無事皆が揃い再びオレ達は西を目指した。



ラスベガスでの会場もHOUSE OF BLUESだったのだがココは"Mandalay Bay Hotel"というカジノを併設する高級ホテルの中にあった。

ラスベガスの映像で良く出てくるピラミッド型のホテルをご存知だろうか。

そのすぐ隣にあるのがこのマンダレイ・ベイだ。


ココでは2日間2ステージをやった。

初日のライブ後には近くのクラブでやっていたライブへ遊びに行った。


バーともクラブとも分からないその場所はキャパ100人位の小さな店で、ステージとフロアの境は無く照明も無い場所でバンドが演奏し客が暴れていた。


本来ならばオレ達も自分で車を運転し、こういう場所でライブをするべき立場の筈だ。

しかし今回はFLOGGING MOLLYという人気も知名度もあるバンドに喚んでもらったお陰でこんなに良い思いをさせてもらっている。


人間というモノは一度良い経験をしてしまうと、次回同じコトをしようとした時どうしてもソレと比べてしまうモノだが

この貴重な経験を糧とするならば、せめてこの気持ちを忘れず勘違いだけはしないようにしなくてはいけないなと思った夜だった。



流石はラスベガス、他にも遊べる場所が沢山ありタトゥーを刺れに行ったり、カジノをしたりとメンバー各々楽しんでいた。

MASAYAはバンド内きってのギャンブラー。

彼の血を騒がせるには有り余るほどの賭け事がココにはある。

博才の無いオレは早々に切り上げたがMASAYAはかなりの大金を突っ込んでいた。


「やばいオレこのままじゃ日本に帰れないかもしれない」


彼一流のリップサービスだったのかも知れないが、終わってみればシッカリとプチアメリカンドリームを手にしていたから流石である。


こうして2日間のラスベガスを満喫し、いよいよ残すはファイナルのみ。

アリゾナ州中央部、フェニックス東郊地区のこの街はその昔ネイティブ・アメリカンの住む地区であった為、今でもその名残が所々に見てとれた。

赤土の山々にオレンジの土壁で作られた住宅街にはカーボーイ御用達の店が沢山あり

この旅で殆ど土産を買わなかったがココで自分用のウエスタンブーツとベルトそして日本を留守にしている時にウチの陸ガメを世話してくれていた親友にお土産を買った。



ファイナル当日も朝から快晴だった。

リハを終え辺りを散策していると何人かにチケットを持ってないかと聞かれた。

そう、この日はこの"GREEN 17 TOUR"のファイナルでありSt.Patrick's Day当日。

8,500人キャパにも関わらずチケットはソールドアウトしていたのだ。

この日をお祝いしようと早い時間から緑色のモノを身に着けた人々が集まってくる。

日本では観たコトが無いがトラックの荷台が丸ごとビール樽になっている車が何台も会場に入ってくる。

勿論ビールも全て緑色だ。

地元ラジオ局も大きなブースを構え生中継している。



2週間半に渡るツアーの最後のステージ、万感の想いを込めライブをした。

この旅で得た貴重な経験、そしてこんなチャンスを与えてくれたFLOGGING MOLLYやReverend Peyton’s Big Damn Band、そしてアメリカで出来た多くの仲間への感謝を長々と日本語で喋った。


もう言葉はよかった。

気持ちがあれば文化や想いは人種や国境を軽く飛び越えるコトをこの旅で学んだ。


40分のステージが終わりステージ袖へ捌けて行った瞬間メンバーと恥ずかし気も無く涙を流しながら抱き合った。

決して一人じゃ経験するコトは出来なかった、決して一人じゃ目にするコトは出来なかった景色を

メンバーという友達でもない家族でもない、でもそれ以上の何か強い繋がりを持った仲間と体験出来たコトを思ったら自然と涙が溢れていた。



この旅を通して出逢った海を越えた仲間達へ感謝を。

本当に優しくしてくれて、初めはその風体から年上だとばかり思っていたが実はかなり年下だったReverend Peyton’s Big Damn Bandとブランディーに感謝を。

そしてこんなオレ達を常に気にかけてくれて、ちょっとした立ち話をオレ達の想像を遥かに越えたスケールで実現し経験させてくれた

愛すべきFLOGGING MOLLYとこの旅に関わってくれた全てのスタッフへ、この場を借りてもう一度感謝をします。


ありがとう。



こうしてオレ達の2週間半に渡るアメリカツアーは終わった。


日本へ戻ったTHE CHERRY COKE$はこの後、STEP UP RECORDS移籍後初となるリリースへ向けアルバム制作に入るコトとなる。





続く…



赤坂BLITZまで後5日!!!


【1999】


※このMVはアメリカツアーを終え作られた楽曲で、今ではチェリーコークスの代表曲の一つとなった結成年号をタイトルにした曲。

3日間に渡り書いてきたアメリカでの生活が映っているTAZAWA氏監修のMVです。

会場限定販売の1st.DVD"RASCAL TRAIL"には更に沢山のアメリカツアーの模様が収められています。

機会があれば是非そちらもご覧ください。

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by YUICHIROtccs | 2013-12-18 23:23

アメリカ大陸横断#2 チェリコ物語




オレ達を乗せたバスは朝になるのを待ってオーランドを出発した。

移動時間は3時間位だっただろうか、着いた先はフロリダ州のタンパという港町。

ライブ会場と思われる建物の向かいでは賑やかなフリーマーケットが開かれていた。

バスを降りるなりネイティブアメリカンの末裔だというオヤジが陽気に絡んでくる。


MOCCHIがオヤジに絡まれているのを余所に会場を下見に行くと、なんとこの日は野外ステージだった。

予想外のコトに皆テンションもあがる。

倉庫を真っ二つにしたような建物がステージになっていて、その前にある広場がフロア。

青春ラブコメ映画で観るような、高校生が週末にダンスパーティーをしている、そんな雰囲気の場所だった。


リハを終えメンバーで飯へ行こうとしていたらちょうど食事を終えたネイトが戻ってきた。

この街には世界一大きなダリの博物館があるらしく、今からソコへ行くという。


彼に別れを告げ街中を歩き飯屋を探していると、先程分かれたネイトが走って戻ってきた。


「海を観たいか!?」


唐突な問いだったが「観たい!」と応えると「じゃあ案内するよ、飯も食える眺めの良いレストランがあるんだ」と、

今しがた食事を終えばかりでダリ展に行くはずだったネイトが、予定を変更してオレ達をヨットハーバー沿いのレストランに案内してくれた。

ココの港にはFLOGGING MOLLYが撮影で使った本物の海賊船が停泊していたり野生のペリカンがいたりと今までに見た事の無いような光景が広がっていた。

タンパ湾を一望出来るレストランに入りネイトを囲み皆で食事をとった。

ビールやカクテルで乾杯しこの旅に誘ってくれたコト、そして彼の心遣いに改めて感謝を伝えた。

日本でもたいして名前の知られていないバンドをアメリカへ、しかも自分達の大事なツアーへ喚んだところで集客につながる筈もなく
言ってしまえば彼らには何のメリットも無いTHE CHERRY COKE$の召喚。


オレ達の感謝の言葉にそんな申し訳なさが含まれているのを感じたのか、彼はこの時こんなコトを言ってくれた。


「大丈夫、君達のFLOGGING MOLLYへの気持ちはじゅうぶんに伝わってる、

このツアーに参加するコトによってTHE CHERRY COKE$がこの先バンドを続けていく上で

ひとつのキャリアになるのならオレ達はそれだけで嬉しいよ

そして何よりこうして約束を果たせたことが嬉しいんだ」と。

彼は涙を浮かべながらそんな優しい言葉を伝えてくれた。


この時の彼の優しさをオレは生涯忘れない。




この日の夜もライブは大盛況だった。

アメリカ人は本当にパーティーを楽しむのが上手い、そんな光景を目の当たりにした夜だった。




ココからはフロリダ州を出て移動距離も長くなってくる。

しかし寝泊りはバスの中、寝ている間に次の街へと向かっている。

快適で何一つ不自由の無い移動。

このツアー中、コンディションを崩すことなく周れたのは本当にコレのお陰だったと思う。



翌朝目覚めるとルイジアナ州南部、JAZZ発祥の地ニューオーリンズに到着していた。

この街では2日ほどのオフもあり、その合間にアー写撮影をしたり街を散策したりと凄く充実出来て、この旅の中でも多くの想い出が残っている場所だ。

フランス領土だったコトもありヨーロッパ風の建物が並ぶ。

バーボン・ストリートでは路上でバンドが演奏し、バーからはジャズバンドの生演奏が聴こえてくる。

ケイジャン料理に舌鼓を打ちザリガニの美味しさを知った。

ミシシッピー川を眺めながらの夜景は今でも鮮明に覚えている。

Reverend Peyton’s Big Damn BandのDr.ジェイミーとスタッフのブランディーは婚約していた為、バチェラ・パーティーを企画しミンナでストリップにも行った。

この街の会場もHOUSE OF BLUESだったのだが、ココのブッキング・マネージャーがチェリコを気に入ってくれて帰国後も何度か連絡をくれた。



2日間のニューオーリンズを満喫して次に向かった街はテキサス州最大の都市ヒューストン。

ココでもアー写撮影をした。

この旅に同行してくれたJEMIちゃんと辺りをロケハンしていると雰囲気の良い一軒のホットドック屋を発見。

店のオーナーに許可をもらい裏庭を借り撮影。

ちなみにこの時撮影したアー写はこの後リリースするコトとなる"Sail the pint"でも使われている。


この日のライブ後には娘2人を連れた50代位の男性に声をかけられた。

詳しいコトは忘れてしまったが、何かの会社を経営している社長で名刺を渡され、娘が君を気に入ったからコレからウチに遊びに来ないかと。

どれだけオープンな家族か知らないが凄い誘い方をするもんだ。

勿論断ったがそれでも社長は「じゃあ俺とゴルフに行こう」と誘ってくる。

ファイナルのメサにも行く予定だから午前中にゴルフをしよう、と。

好意は感じたが凄まじい押しにチョットひいてしまい、やんわりと断った。

が、コレがまずかった。

NOと言えない日本人丸出しのオレ。

コレが文化の違いか、この社長は本当にファイナルの日に車で迎えに来てしまったのだ。

結局ゴルフには行かなかったのだが、社長の寂し気な顔を見た時は本当に申し訳ないコトをしてしまったと反省した。


こうしてヒューストンを後にしたオレ達は次の目的地ネバダ州、世界のギャンブラーの聖地ラスベガスへと向うコトになる。

しかしヒューストンからラスベガスへの移動は距離が長く日を跨ぐため、途中メキシコとの国境の街エルパソで宿をとるコトにした。

外壁は崩れエレベーターも故障している見るからに安そうなモーテルだったが、それもミンナで居ればそれも楽しみに変わる。

近くのガソリンスタンドで酒を買い込みかなり深い時間まで皆でポーカーに興じた。


しかし事件はこの翌朝起きた。

空は雲一つない快晴、カラッと晴れたエルパソを後にしたオレ達はまだ誰もそのコトには気が付いてはいなかった。




続く…


赤坂BLITZまで後6日!!!

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by YUICHIROtccs | 2013-12-18 03:03

アメリカ大陸横断#1 チェリコ物語





成田を出発したオレ達は途中ダラスを経由してフロリダ州オーランド国際空港へ到着した。


コレから始まるアメリカ大陸横断の大冒険に期待を膨らませ先ずは初日、2日目と滞在するホテルの目の前にあったいかにもなステーキ屋で決起集会。

巨大な肉の塊に返り討ちを喰らい益々期待が高まる。


翌朝、その日はアメリカでのライブ初日、場所はフロリダ・ディズニーワールド内にあるHOUSE OF BLUES。

会場に着くなりネイトをはじめFLOGGIMG MOLLYのメンバーが「よく来たね!」と温かく迎えてくれた。

コレから2週間一緒にツアーを周るReverend Peyton’s Big Damn Bandのメンバーも皆最初から本当に親切にしてくれた。


リハーサルを終え会場の周りを散策していると既に今夜のライブを観に来たであろうヒト達が列を作っていた。

何人かに「君達チェリーコークスか?楽しみにしてたよ!」や「Youtube観てきたよ!」等の声をかけてもらい、下調べをしてくれていたコトに感動した。



西部劇にでも出てきそうな木造3階建ての大きなライブハウス、屋根の上にはこれまた大きな貯水タンク。

日も暮れはじめ会場を待つヒトの列は2000人以上に膨れ上がっていた。

その列をいくつにも連なった裸電球が照らし最高の雰囲気。







いざアメリカ初ステージ。



SEは使わなかった。

先ずはじめにMOCCHIが1人で出ていく。


日本から来たフォークパンクバンドがどの位のモノか観てやろう、そう言わんばかりに静まり返る会場。

目の前にした2000人超のアメリカ人に日本人のアイデンティティー「一礼」をかましドラムセットに着く。



20秒程のドラムソロ。

それが鳴り止みポルカのリズムに移る瞬間、会場から大歓声が起こった。

大舞台の先陣を切ったMOCCHIが本場の観衆に風穴を開けた瞬間だった。

コレはオレ達にとって大きな勇気になり、期待と緊張で張り裂けさそうだった気持ちを解してくれた。


メンバーが出揃いポルカ中盤には巨大なモッシュの渦が二つ出来ていた。


いける。


自分達が今までやってきたコトが海を渡った見知らぬ土地でも通用する。

アジアの小国日本が大陸王者アメリカと今まさに同じ音楽で繋がり時間を共有していた。


その後は無我夢中だった。


気付いた頃には40分程のライブは終わっていた。

大きな歓声に見送られステージ袖へ捌けていく。


片づけを済ませフロアに出ると多くのヒトが「awesome!」と声をかけてくれた。



続くReverend Peyton’s Big Damn Bandはブルースやヒルビリー、ゴスペル等をギター、ドラム、ウォッシュボードで掻き鳴らす3ピースバンド。

Vo.&GtのReverend PeytonとVo.&Wash BoardのBreezy Peytonは夫婦、現在はメンバーチェンジをしているがこの時のDr.Jayme PeytonはRevの実兄という本当の家族で構成されたバンドだった。

事前にYoutubeで観てはいたがこのバンドのライブもまた大迫力で一発で心を持って行かれた。



そして真打FLOGGING MOLLY。

もう会場は異様な熱気と興奮に包まれていた。

本国というコトもあるだろうが今まで観てきた彼等のどのライブよりも凄かった。

このフロリダのHOUSE OF BLUESというハコは3フロアに分かれていて、分かり易く言うとオペラ会場をラスティック建築で建てたような造りになっていた。

その為ステージに立ち会場全体を見渡すと吸い込まれそうなくらいの迫力なのだ。

そんな会場でオーディエンスと共に創り出されるグルーヴは巨大な渦を巻いて空間全てを包み込んでいた。


こうして大興奮の初日を終えこの日は昨日と同じホテルへと戻った。


翌日からはツアーバスでの移動になる。

日本から最安値で頼んだバス、寝れるとは聞いたがどんなバスが来るかは想像もつかなかった。

東から西へのアメリカ大陸横断、きっとココからは過酷な旅になるだろうと皆が予想していた。



翌朝、メンバー全員同じ部屋へ集まり日本から持ってきた物販用のTシャツを仕分けしたり、各自出発の準備をしていた。

そんな中、チェックアウトの時間になっても迎えのバスからは連絡が無い。

部屋の窓から下を見下ろす。

それらしき車は一台も無い。

停まっている車と言えば先ほどから入口を塞がんばかりのコンテナトレーラーを繋いだ"はとバス"を更にデカくしたような車だけだった。

しかし既にチェックアウトの時間。

仕方なくフロントへ鍵を返し表で待つコトにした。




来ない。



おかしい。

ココへ来て手配をミスったか。


そんな心配をよそにホテルのベルボーイは「お前ら日本から来たのか?」「バンドやってるのか?」

「オレもギター弾けるぜ」と言い口笛を吹きながら陽気なエアギターを披露しだした。



それどころじゃない。

ココへ迎えに来るはずのバスが来ないんだ。


それでもその後5分位はそのベルボーイのエアギターを聴かされただろか。

一通りのレパートリーが終わったのか「ところでお前等はここで何をしてんだ?」とベルボーイ。


アンタにハマってたんだよと思いながらも事情を説明すると「それならさっきからずっとソコに停まってるじゃねーか」と。

指さす先には先程部屋の窓から見下ろしたバカデカい"はとバス"

いや、そんな筈は無いと誰もが確認しなかったそのバスに近付き、傍にいた運転手らしき人物に尋ねてみた。




「予約の名前はTHE CHERRY COKE$だよ」





まさかソコに先程から停まっていた巨大なバスがオレ達の予約したツアーバスだった。

コレには驚いた。

急いで荷物を積み車内へ。



中に入るとまず広めのラウンジがある。

10人位座れる対面式のソファーがあり、そのまた隣には4人が座れるテーブルとイス。

更には冷蔵庫、トイレ、シャワー付き。


フロアを区切るスライド式の扉を開けるとソコはベッドルーム。

3段ベットが4つ両サイドに並んでいる。

合計12人が泊まれる個室ベッドには全室に小型TVが完備されていた。


寝室の廊下を抜けるとその奥にもスライド式の扉があり、そこを開けるともう一つのラウンジがあった。

5人位が座れるL時のソファーにテーブル。

ちなみにこの部屋と入口の部屋には両方共巨大な液晶TVやラジオ、その他AV機器が揃えられていた。



想像もしていなかった、というか観たコトもないような豪華なバスにテンションが上がったオレ達はまるで中学生の修学旅行のようだった。

「オレここ」「私ここ」と早いモノ勝ちと言わんばかりにベットの割り振りが決まっていく。


今でもこの時のコトを想い出すと顔がほころぶ。

本当に良い想い出。




このバス会社はアメリカの名立たるアーティストが使っているツアーバス専門の会社で、運転席には"エアロスミス"や"リンプビスキット"などのツアーパスが釣り下がっていた。

つまり、彼等が実際にこのバスに乗って移動していたのだ。




しかし何故最安値のバスを頼んだのにこんな最高クラスのバスが来たのかを恐る恐る運転手に聞いてみた。

すると彼は「君たちが予約していたバスは他で予定が入ってしまい出払っていたからコレで来たんだよ」と教えてくれた。

「勿論料金はそのままで大丈夫だよ」と。

コレはFLOGGING MOLLYが使っているバスと同じで、更にそれより新しい型のバスだった。

なんだか申し訳ない気持ちにもなったがこんな棚ボタがあるのか、コレが噂で聞いたあの「アメリカンドリーム」ってヤツじゃないか等とハシャギ皆大興奮した。




そう、棚ボタだと思っていた。

このブログを書くまでそう思っていたが、今になって考えてみればそんなに旨い話があるだろうか。




例え予約を入れていたバスが使えなかったとしても最安のモノから最高のモノに。

予約時に観たホームページには他にも色んなクラスのバスがあった筈だ。

大手ツアーバス会社がそんなブッキングミスをするだろうか。


そもそもこのツアーバス会社を紹介してくれたのはFLOGGING MOLLYのツアーマネージャーのアーロンだ。

よく考えてみれば最終的な手配は彼がしてくれた。



今となっては真実は分からないし、今さら聞いたところで野暮になるだけだ。

しかし、もしそうならば合点のいくコトがいくつか想い浮かんでくる。

このコトは、この旅を通して彼等がしてくれた沢山の優しさと共にそっと、ずっと忘れないように心の中にしまっておこうと思う。


こうしてオーランドを出発したオレ達は次の街タンパへ向かうコトになる。

4000kmに渡るアメリカ横断の旅の始まり。



続く…



赤坂BLITZまで後7日!!!

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LIVE情報→ www.thecherrycokes.jp


KAT$UO
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by YUICHIROtccs | 2013-12-17 00:08

チェリコ海を渡る #THE CHERRY COKE$ story



その話は突然やってきた。





日本人の民族性かはたまた美学なのか、オレ達は時折「口約束」という契を交わす。

もしかしたらまだ実行されていないだけの長きに渡る約束かもしれない。

時に相手を気遣って交わされる場合もあるが、お互い心のどこかでは理解している。

その大半は時間の経過と共に消えていき、この不確定な約束が果たされる確立は低い。




しかし、極稀にこの口約束が忘れた頃に果たされ現実のモノとして実行される時がある。

そして、日本人以外の国の人にはこの文化は存在しないのかもしれない。








2007年暮れ、STEP UP RECORDSへ移籍する少し前。

パソコンへある一本のメールが届いた。

送信元はアメリカ、ロサンゼルス。





「やぁ兄弟!待たせたね。アメリカへ来れる準備は出来てるか?」






突然の内容に戸惑ったが、読み進めていくうちにコレがあの時交わした「口約束」の続きで

未だ果たされていないだけの約束であったコトを理解した。



メールの送り主はAaron。


その人物は来日の際にも面識があり連絡先を交換していた"FLOGGING MOLLY"のツアーマネージャーだった。





そう、2004年4月初めてFLOGGIN MOLLYの日本ツアーのオープニングアクトをやらせてもらった時、バンドのベーシストNathen Maxwellが

何度も言ってくれた言葉

「お前達を絶対アメリカに喚ぶから」

その場で綿密な打ち合わせや詳細を決めるでもなかった立ち話が3年越しで現実のモノとなり動き出そうとしていた。




何度も読み返した。

しかし何度読み返してもその内容はTHE CHERRY COKE$がアメリカでツアーをする為のコトが書かれていた。



あの日の約束を覚えていてくれたコト。

今でもオレ達のコトを気にかけていてくれたコト。


感動した。

そして心底興奮した。




それは"GREEN 17 TOUR"と題し毎年FLOGGING MOLLYが主催しているSt.Patrick'sを祝うツアーで

St.Patrick's当日の3月17日に向けて2ヶ月以上をかけてカナダを含め全米を回るツアーだった。


FLOGGING MOLLYは日本でも既にお馴染みだが本国での人気は相当なモノ。

会場は"HOUSE OF BLUES"を始め最低でも2500人以上のキャパでファイナルとなる会場はなんと8500人を収容する野外ステージだった。


しかも驚くコトにこのツアーは主催のFLOGGING MOLLYとインディアナ出身の"Reverend Peyton’s Big Damn Band"というバンド

そして日本から行くTHE CHERRY COKE$、この3バンドだけで全米を周るというモノだった。



オレ達の想像を遥かに越えた大規模な話。

大好きなバンドの代名詞ともいえるツアーへの誘い。



勿論バンドの気持ちは決まっていた。





しかし幾つかの問題もあった。



それは既に年明けからのライブ予定が入っていて、その時期に何本か被っていたのだ。

いくら自分達のチャンスだといっても決まっていたモノを断るという不義理なコトはしたくなかった。



そしてもう一つがアメリカ滞在中の諸経費。

渡航費の他に向こうでの移動費、生活費などの問題もあった。

中でも向こうでの移動は日本とは規模が違い、ましてや初めて行く土地でこの人数での移動にはかなりの不安があった。

色々と検討した結果運転手付きのツアーバスを頼むのが一番スムーズだというコトになり最安値の会社を探し手配。

詳しくは分からなかったが、全員が乗り込めるだけのサイズで贅沢を言わなければ寝るコトも可能だとのコトだった。




フロッギンサイドにコチラのスケジュールを踏まえ、それでも良ければ是非参加したい旨を伝えたら快く受け入れてくれた。

参加日程は2週間半程でフロリダからファイナルとなるメサまでのアメリカ横断。


こうしてオレ達はバンドとして初めての海外ツアーを経験するコトになった。








この年の暮れ、アメリカ行きとは別にバンドはもう一つの問題を抱えていた。

それはアコーディオン担当YOSSUXIの脱退。


彼女とはプライベートでも呑みにいったり遊んだりする妹的な存在だったから寂しい気持ちが大きかったがコレも仕方のないコト。

1人の気持ちや人生、新たな目標を理解するコトも集団行動にとっては必要だ。




しかしアメリカツアーも決まっていた時期なのでオレ達は直ぐに新たな後任を探さなくてはいけなかった。

アコーディオン奏者はドラマー以上に需要が少なく難しい問題だった。

年も明け渡米まで数週間しかなかった。



もうアコーディオン無しで行くかと諦めかけていたそんな時

昔THE CHERRY COKE$のライブにも遊びに来ていてHIROMITSUの知人を介して知りあった人物が

現在アコーディオンを弾いて芸人をしているというコトを知った。




早速コンタクトを取りスタジオで音合わせをしたものの、不安がよぎる。

いくらアコーディオンが弾けるといっても芸人として弾くモノとバンドとして弾くというのは別モノだった。


唐突な誘いで戸惑いもあったと思う。

時間が無い中で人知れぬ不安もあったと思う。

練習では上手くいかずキツイ言葉も飛んだ。

スタジオでは毎回のように涙を流していたが、それでも頑張ると言ってくれた。


こうしてオレ達は彼女を正式メンバーとしてバンドへ迎えるコトに決めた。



アメリカへ行くまではもう日がなかった。

HIROMITSUは自分が連れてきたという責任もあったらしく連日個人練習に付き合ってくれていて

この短期間の猛特訓を経て何とかある程度の曲数を覚えてもらいギリギリでライブ準備が整った。






彼女を含めた新生THE CHERRY COKE$での初舞台はなんとフロリダ。

ディズニーワールド内にある名門"HOUSE OF BLUES"だった。



アメリカ出発当日。

成田空港出発ロビー、不安の中にも浮足立っているメンバー。

普段遅刻の多いオレやHIROMITSUもこの時ばかりは既に到着し手続きを済ませていた。




しかしアコーディオンが来ない。



派手に寝坊したらしい。

コチラは気持ちが高まりロクに睡眠も取れなかったというのに大したタマだ。


皆チェックインを済ませゲートをくぐる準備も整っていたその時、遠くから「すみませーん!」と息を切らせ走ってきた。

2週間以上も見知らぬ土地で生活をするとは思えない程の軽装に一泊二日の小旅行にでも行くかのような小荷物しか抱えていなかった。



こうして最初から大物になる予感しか感じさせなかったその人物こそ

THE CHERRY COKE$の現オコーディオニスト"TOMO"である。



この時のメンバー


Vo.KAT$UO
Ba.HIROMITSU
Gt.MASAYA
T.p/T.w.KOYA
A.sax.SUZUYO
Acco.TOMO
Dr.MOCCHI(サポート)

Roadie.TA-CHIN
P.A.SYU-HEY



2008年3月のコト。


続く…



赤坂BLITZまで後8日!!!
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LIVE情報→ www.thecherrycokes.jp

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by YUICHIROtccs | 2013-12-15 17:08