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アメリカ大陸横断#3最終編 チェリコ物語




翌朝、チェックアウトはAM10時頃だったろうか。

各自部屋の鍵を返しバスへ乗り込む。

朝方までやっていたポーカーと酒のせいもあり、人によっては早めにチェックアウトを済ませ既にバスのベッドで寝ているメンバーもいた。

ソファーに座り朝食を摂る者、ベッドのカーテンを閉め寝ている者、皆各々の時間を過ごしていた。

やがて準備も整いバスはエルパソを出発。

次の目的地はアリゾナ州北西部の街キングマン。

ココまで行けばラスベガスまではあと少しだ。


西部劇に出てきそうな赤土の荒野を眺め旧国道66号を目指す。

途中小さな町を通る度、何度かロデオ・ドライブという看板を目にしたが、コレは日本で言うところの○○銀座といった感じなのだろうか。


「果てしない」とはきっとこういうコトを言うのだろうなと思う程終わりの見えない赤土の荒野に囲まれた道を走り進んで行く。

エルパソを出発して1時間程経った頃だろうか、TA-CHINが慌てた様子でラウンジの扉を開けた。




「HIROMITSUさんが居ない!!」




ウソだろ、出発する時ミンナいるのを確認した筈だ。


しかしTA-CHINの話によると、ベッドのカーテンが閉まっていたので起こすまいとの気遣いからカーテン越しに手で触り確認を取っただけだった。

そして今用事があり、そっとカーテンを開けたらHIROMITSUだと思っていたその感触は彼のバックパックだったらしい。




古典的な忍法変わり身の術だ。


しかしHIROMITSUが忍術を使えるという話は出逢ってから一度も聞いたコトが無い。


全員のベッドを確認したがやはり1人足りない。

間違いなく現在この車にHIROMITSUは乗っていなかった。

慌てて運転手に状況を話す。



そうだ、HIROMITSUはケータイ電話を持っていたと思い出し電話をかけたのも束の間。

ラウンジのテーブルで主の帰りを健気に待つ彼のケータイが寂しそうに震えていた。



戻るしかない、しかし出発してからココまで1時間以上は過ぎている。

更にココから戻るのに1時間と考えても計2時間以上、彼がもし機転を利かし別の方法でコチラへ向かっていては行き違いになってしまう。

君が居ないのを確認したから今から戻るというコトすら伝えられない。



一抹の不安を抱えながらもバスは急いで今来た道を戻った。

1時間後、荒野に佇む寂れたモーテルの前で寂し気にキャリーバッグを引きずるHIROMITSUを発見した。


彼の話によると、寝坊しチェックアウトの時間を少し過ぎた頃、恰幅の良いベッドメイクのオバちゃんに起こされたらしい。

表に出ると既にバスは無く暫くは状況が呑み込めなかったが、刻々と過ぎていく時間と共にコレは置いて行かれたなと悟ったという。

ヒッチハイクかタクシーに乗って追いかけようかとも考えたらしいが、きっと気付いて戻ってくるコトに賭けていた。

裏の裏の裏。

つまり裏だが、コレが吉と出た。




見知ら土地、辺りは荒野が広がるメキシコとの国境。

この時の彼の心境を考えると本当に気の毒になるが、コレもまた旅の想い出と笑い話に出来る彼は流石だ。

こうして無事皆が揃い再びオレ達は西を目指した。



ラスベガスでの会場もHOUSE OF BLUESだったのだがココは"Mandalay Bay Hotel"というカジノを併設する高級ホテルの中にあった。

ラスベガスの映像で良く出てくるピラミッド型のホテルをご存知だろうか。

そのすぐ隣にあるのがこのマンダレイ・ベイだ。


ココでは2日間2ステージをやった。

初日のライブ後には近くのクラブでやっていたライブへ遊びに行った。


バーともクラブとも分からないその場所はキャパ100人位の小さな店で、ステージとフロアの境は無く照明も無い場所でバンドが演奏し客が暴れていた。


本来ならばオレ達も自分で車を運転し、こういう場所でライブをするべき立場の筈だ。

しかし今回はFLOGGING MOLLYという人気も知名度もあるバンドに喚んでもらったお陰でこんなに良い思いをさせてもらっている。


人間というモノは一度良い経験をしてしまうと、次回同じコトをしようとした時どうしてもソレと比べてしまうモノだが

この貴重な経験を糧とするならば、せめてこの気持ちを忘れず勘違いだけはしないようにしなくてはいけないなと思った夜だった。



流石はラスベガス、他にも遊べる場所が沢山ありタトゥーを刺れに行ったり、カジノをしたりとメンバー各々楽しんでいた。

MASAYAはバンド内きってのギャンブラー。

彼の血を騒がせるには有り余るほどの賭け事がココにはある。

博才の無いオレは早々に切り上げたがMASAYAはかなりの大金を突っ込んでいた。


「やばいオレこのままじゃ日本に帰れないかもしれない」


彼一流のリップサービスだったのかも知れないが、終わってみればシッカリとプチアメリカンドリームを手にしていたから流石である。


こうして2日間のラスベガスを満喫し、いよいよ残すはファイナルのみ。

アリゾナ州中央部、フェニックス東郊地区のこの街はその昔ネイティブ・アメリカンの住む地区であった為、今でもその名残が所々に見てとれた。

赤土の山々にオレンジの土壁で作られた住宅街にはカーボーイ御用達の店が沢山あり

この旅で殆ど土産を買わなかったがココで自分用のウエスタンブーツとベルトそして日本を留守にしている時にウチの陸ガメを世話してくれていた親友にお土産を買った。



ファイナル当日も朝から快晴だった。

リハを終え辺りを散策していると何人かにチケットを持ってないかと聞かれた。

そう、この日はこの"GREEN 17 TOUR"のファイナルでありSt.Patrick's Day当日。

8,500人キャパにも関わらずチケットはソールドアウトしていたのだ。

この日をお祝いしようと早い時間から緑色のモノを身に着けた人々が集まってくる。

日本では観たコトが無いがトラックの荷台が丸ごとビール樽になっている車が何台も会場に入ってくる。

勿論ビールも全て緑色だ。

地元ラジオ局も大きなブースを構え生中継している。



2週間半に渡るツアーの最後のステージ、万感の想いを込めライブをした。

この旅で得た貴重な経験、そしてこんなチャンスを与えてくれたFLOGGING MOLLYやReverend Peyton’s Big Damn Band、そしてアメリカで出来た多くの仲間への感謝を長々と日本語で喋った。


もう言葉はよかった。

気持ちがあれば文化や想いは人種や国境を軽く飛び越えるコトをこの旅で学んだ。


40分のステージが終わりステージ袖へ捌けて行った瞬間メンバーと恥ずかし気も無く涙を流しながら抱き合った。

決して一人じゃ経験するコトは出来なかった、決して一人じゃ目にするコトは出来なかった景色を

メンバーという友達でもない家族でもない、でもそれ以上の何か強い繋がりを持った仲間と体験出来たコトを思ったら自然と涙が溢れていた。



この旅を通して出逢った海を越えた仲間達へ感謝を。

本当に優しくしてくれて、初めはその風体から年上だとばかり思っていたが実はかなり年下だったReverend Peyton’s Big Damn Bandとブランディーに感謝を。

そしてこんなオレ達を常に気にかけてくれて、ちょっとした立ち話をオレ達の想像を遥かに越えたスケールで実現し経験させてくれた

愛すべきFLOGGING MOLLYとこの旅に関わってくれた全てのスタッフへ、この場を借りてもう一度感謝をします。


ありがとう。



こうしてオレ達の2週間半に渡るアメリカツアーは終わった。


日本へ戻ったTHE CHERRY COKE$はこの後、STEP UP RECORDS移籍後初となるリリースへ向けアルバム制作に入るコトとなる。





続く…



赤坂BLITZまで後5日!!!


【1999】


※このMVはアメリカツアーを終え作られた楽曲で、今ではチェリーコークスの代表曲の一つとなった結成年号をタイトルにした曲。

3日間に渡り書いてきたアメリカでの生活が映っているTAZAWA氏監修のMVです。

会場限定販売の1st.DVD"RASCAL TRAIL"には更に沢山のアメリカツアーの模様が収められています。

機会があれば是非そちらもご覧ください。

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LIVE情報→ www.thecherrycokes.jp


KAT$UO
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by YUICHIROtccs | 2013-12-18 23:23