THE CHERRY COKE$のVO.KATSUOのLogBook


by YUICHIROtccs

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

KAT$UO official twitter

検索

以前の記事

2015年 12月
2014年 12月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 06月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 04月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

レーベル移籍 #チェリコ物語




TA-CHINがスタッフとして仲間に加わった直ぐ後にはPAとして"SYU-HEY"が手伝ってくれるコトになった。

SYU-HEYとは以前からバンド仲間として交流があったのだが、彼が所属していたバンドが解散した後は暫く逢っていなかった。

何年か振りに再開した場所は"高円寺20000V"。

歳はだいぶ離れていたのだが当時から落ち着きのある男だった。

音響の専門学校を卒業後はライブハウスのPAとして現場に出ていた。

そんな久しぶりの再会に話も弾み近況を話していたら、時間の空いている時は勉強がてらチェリコの現場を手伝いたいと申し出てくれた。


毎回ではなかったがこうしてチェリコにも専属のPAが付きライブのし易さも格段に上がった。


この時のメンバーを今一度おさらいすると



Vo.KAT$UO
Ba.HIROMITSU
Gt.MASAYA
T.p&T.w.KOYA
Acco.YOSSUIX
A.sax.SUZUYO
Dr.MOCCHI(サポート)

Roadie.TA-CHIN
P.A.SYU-HEY


の9人。




そう、この時はまだMOCCHIはサポートメンバーだったのだ。

彼が所属していた"SHIT"は既に活動を止めていたのだが、MOCCHIにはもう一つ追いかけていた夢があった。

それは"お笑い芸人"


相方とコンビを組み代々木公園や劇場で活動をしていた。

オレ達はいつの間にかMOCCHIがサポートメンバーというコトも忘れドラムを探すコトもしていなかったのだが

ある時彼から「1年間本気でお笑いの活動に専念したい」という話をされた。

体が空いている時はチェリコのライブをサポートするが、お笑いを優先したスケジュールにしたいと。


勿論、さんざん手伝ってくれた彼を止める権利は無かった。

その後何度か他のバンドのドラマーにサポートしてもらいライブをしたが、なかなか正式メンバーは決まらなかった。

その度にMOCCHIが叩いてくれたのだが、今思えば彼の気持ちを聞き入れながらもどこかで甘え、無理をさせていたんじゃないかと思う。

ライブ等で彼と話したコトがあるヒトは分かると思うが、ステージ以外でもあのまま。

メンバーできっと一番人当たりも良く優しい男だ。

こうして2007年も上記のメンバーでライブを繰り返していた。








そんな中この年の半ば頃、バンドは一つの岐路に立っていた。



それはレーベル移籍。

コレは自分達から選んだコトだった。



いくつかのレーベルから誘いがあり、その中には今とは違うがメジャーレーベルも含まれていた。


パンクシーンにおいてはメジャーもインディーも変わりは無くなっていてインディーズパンクバンドがポップ歌手を抑えオリコンチャートに名を連ね始めた時期。


オレ達の気持ちはより多くのリスナーにTHE CHERRY COKE$という音楽を聴いてもらうにはどうしたらいいか、そんなコトを考え始めていた頃でもあった。

今までお世話になったBULLIONはそんなバンドの気持ちを汲み送り出してくれた。


まだまだ駆け出しのオレ達を拾いあげてくれて沢山の貴重な経験をさせてくれたBULLIONを離れてまで切る新たなスタート。

中途半端なコトはしたくなかった。

各レーベルと話合い自分達の進むべき道、将来を想像してみた。



しかし正直迷っていた。

全てにおいて良い所と不安な部分があり、また心のどこかではBULLIONから受けた愛情と比べていたのかもしれない。

TA-CHINやSYU-HEYはバンドが決めるコトに着いて行くが、カッコイイ選択をして欲しいと言ってくれた。




各レーベルもビジネスとして話をしてくれているのだからあまり悠長なコトは言っていられない。

決めあぐねていたそんな時期、ある1人の人物から「待った」が入った。



バンドマンとしても交流のあったこの男こそ"FUCK YOU HEROES"のベーシストにしてインディーズレーベル"STEP UP RECORDS"の代表"RYOSUKE"氏だった。

チェリコが進路に悩んでいる話を聞きつけやって来たのだ。



「もしもまだ行く先を決めていないのならオレにも手を挙げさせてくれ」





思わぬところからの話に驚いたがRYOSUKE氏と話をしていくうちに、オレ達が何故進路を決められずにいたかが分かった気がした。



仲間だからという贔屓目を抜きにしてもバンドへの愛を感じた。

勿論他のレーベルからも凄く有り難い気持ちを頂いていた。


しかしRYOSUKE氏の想いには恋と愛との違いみたいなモノを感じたのかもしれない。

"STEP UP RECORDS"がバンドに対して出来るコト、出来ないコトを腹を割って話してくれた。

「金なら無い」と本人が言うように、この時話をくれたどこのレーベルよりも小さい会社だった。

この先オレ達が不安になるであろうコトを正直過ぎるほど明け透けに話してくれた。



その上で一緒に夢を見ようと言ってくれた。



迷いは消えた。

金が欲しけりゃバンドなんかとっくに辞めてる。





小さくて見栄えは悪いが何故か誇らしげに胸をはって迎えに来た一艘の舟。

自分の心で決め乗り込んだ舟がもしも泥舟だったらそん時は一緒に沈めばいい。

そいつを賭けるに値するモノがそこにはあった。







こうしてTHE CHERRY COKE$は2008年"STEP UP RECORDS"へ移籍するコトになった。


結成から9年目のコト。




続く…


赤坂BLITZまで後9日!!!

c0107763_20473447.jpg

c0107763_22184659.jpg



KAT$UO
[PR]
by YUICHIROtccs | 2013-12-14 22:18